説得力と断定的表現
説得力ある説明には「断定的」な表現が必要不可欠だ。
「AはBです」と説明する人と、
「たぶんAはBだと思います」と説明する人とでは、その説得力は大きく異なる。
私はこの「断定的表現」が苦手だ。
断定すると責任が生まれるからだ。
この前「AはBです」って言ったよね? と後から責任を追求されるのが嫌なのだ。
どのような発言に対しても基本的に責任を負いたくないのだ。
なぜなら私は可能性とその暫定的結果の中に生きているから。
科学の本質をそう捉えているからだ。
断定と責任
世の中に断定できる事柄など一体どれほどあるだろうか?
義務教育で配布される教科書ですら、数年に一度改正されるというのに。
学問は「今の所、それが最も確からしい」という事実に基づいて成り立っている。
であれば、その認識が根本から覆ることも当然あり得る。
そのような世界において、一体我々は何を断定できるというのだ?
何に対して責任を負えるというのだ?
責任が求められる場面
断定できる事柄など何一つ無いように思える世の中にあっても、責任を求められる場面というのは存在する。
特にビジネスにおいては。
ある上司は「AがBである」ことについてより深い納得感を得たいと考えていて、部下に情報の整理を依頼する。
部下は「AがBである」と考えられるような情報を一通り集めて、要約してそれを上司へ報告する。
当然上司の方が業界での経験や業務への理解があるものだから、部下が気が付けなかった「確からしさの穴」を見つけて指摘する。
部下は調べた中での情報にしか責任を負えない。上司が突然持ち出した「C」という事実についての責任など負えるはずもない。
「Cが何かは知らないですけど、あなたがそう考えるならそうなんじゃないですか?(だってあなたの方が詳しいでしょう?)」となってしまう。
この無責任でやる気のない部下は私自身だ。
真のカスタマー・ファースト
上司が求めているのは「AはBである」という確からしさの向上なのだ。
であれば部下は、事実Cを用いてその確からしさを向上するよう努めるべきなのだ。
真のカスタマー・ファーストとはなんだろうか?
「AがBである」ことへの確からしさを向上したいと望む顧客たいして「AがBである」もっともらしい理由だけを集めて提示することだろうか?
違う。
「AがBである」ことの確認をもって、彼らが最終的に何をしたいのかを理解するべきなのだ。
従順で無能な部下は「AがBである理由を調べよ」と言われれば、その言葉以上のリサーチはしないだろう。
一方で有能な部下とは「上司は『AがBであること』をもって、何をしたいと考えているのだろう?」と考える。
後者の思考ならば、都合の良い事実だけを集めてそれっぽく説明する、などという非科学的なアプローチは取らないはずだ。
まとめ
顧客は不親切だ。自分の意図を全て言葉で説明してくれるわけではない。
「Aが欲しい」「Bが欲しい」という顧客の欲求は、実は最終的に成し遂げたい何かによって押し上げられ、たまたま水面に顔を出した「欲望の欠片」にすぎない。
そのことを肝に命じておこう。
おわり
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